南イタリア6日間(3)


2月9日(4日目)
【世界遺産】アマルフィ海岸観光
今日は生憎早朝から強い風と雨。日本では大雪の情報があった。ホテルでの朝食ルームはソレント海岸を一望できる絶景のところ。人気も高かったが、霧や雨風に視界が遮られ、誠に残念だ。この様子だと、アマルフィ海岸も余り期待できないかも。今回旅行の本命だったが、天候だけはどうしょうもない。然らばそれはそれなりに楽しむ事を考えようとプラス思考に切り替えた。
アマルフィまで約30キロ、狭い曲がりくねった断崖の道を走るのでスピードは出せず。しかも大型バスでは無理なので、小型バスに乗り換えた。約1時間40分程、狭いカーブ道の連続で、テレビや映画でよく出てくるワンシーンのようだった。
深い霧に遮られ視界20〜30m位か前を走る車が薄っすらしか見えない。しかし運転手は慣れた道を走るので、スピードは全く落ちる事はなかった。強い風に飛ばされた霧の合い間から、時たま見える景色がその断崖の様子を覗えた。本来、ツアーはポジターノの丘の展望も組み込まれていたが、例え行っても何も見えないだろうとの運転手とガイドの判断でパスとなった。

アマルフー海岸に着く。霧は晴れたが依然雨風強し。ここで約2時間、昼食を挟んでフリータイムとなった。日本から持参した傘が強風に煽られ松茸状態となる。更に現地で5ユーロで購入した傘も僅か50mでオシャカ。逃げ込んだ先はドゥオーモ(大聖堂)であった。中に入ると丁度赤ちゃんの洗礼儀式が執り行われていた。荘厳なパイプオルガンに聖歌隊の讃美歌を歌う音楽の音色に心を奪われ、30分以上俄(にわか)信者に成りきって見守っていた。こんな遭遇は初めてだった。しかもこの大聖堂は織田裕二が主演した『アマルフィ 女神の報酬』のロケ地だった。それ以外は今はシーズンオフ、しかも日曜日。店も殆ど閉店で、何の収穫も得られず、昼食を開いていた店でハンバーグ入りサンドイッチを食べた。美味しかった。
宿泊ホテルの朝食ルームからソレント海岸 アマルフィ海岸に着く 強風で荒れる海岸
イタリア有数のリゾート地だが今はシーズンオフ ドゥオーモ(大聖堂) スペインのメスキータと同じアーチだった
赤ちゃん洗礼儀式の真っ最中 日曜日なので閑散とした商店街 夏場だとこんな感じ?(ネットから転載)


【世界遺産】ポンペイ遺跡観光
アマルフィから約47km北西に位置するポンペイまで山越えだ。途中工芸品のカメオ工房に立ち寄る。カメオとは、貝やサンゴなどに絵柄を掘った芸術作品の事。
5年前にもナポリまで来ていたのだが、その時はポンペイに行かず。それだけに今回楽しみにしていた。
雨は小降りになり、観光には何ら支障はなくなった。ポンペイは紀元前1世紀の時はローマ帝国の支配下で、商業・港湾都市として栄えていた。ところが紀元79年8月24日、ヴェスビィオ山が突然大爆発、街は一夜にして埋没してしまった(時速100`以上という火砕流により)。その後1748年に再発見され、世界をアッと驚かせた。当時の様子がそのまま埋没したので、裕福な家、浴場、円形劇場、水道などの建造物、美術品が数多く出土し、また犠牲者の姿も再現され、ローマ時代の都市の機能や風俗を再認識できたのである。当時は人口1万人弱と推定されている。                            (下記写真の中で別途写真あり
カメオ工房での実演 大劇場(5000人収容できる) 別途写真有り 全ての路に石畳
娼婦の壁画 娼婦の個室部屋 フォーロ
死んだ人の形を再現 パン屋(曳き臼を奴隷又はロバを使う) 大浴場
三角路 秘儀荘   おもてなしの部屋 疏水跡

その他、ポンペイ遺跡に関する爆発前と後の写真集(今と昔のガイド本より)

一路、約245km北西に位置するローマへ移動
ポンペイ遺跡は4時30分に終わり、たっぷり堪能した。幸い観光客も少なく、シーズンになれば、人混みになるらしい。
ローマまで約4時間。途中のドライブインのところでエスプレッソを注文した。本場だけあってとても濃厚で美味しかった。今夜の食事はイタリアン・ピッツアとコロッケ。余り腹持ちしなかった・・・・。
ホテルはローマの中心地で至って交通の便が良い4つ星のチチローネ ローマ。バチカンやトレヴィの泉、スペイン広場など歩いて行ける至近距離にある。結局着いたのが夜の10時過ぎであった。
濃厚な味のエスプレッソ 夕食はピッツアとコロッケ 宿泊ホテル「チチローネ ローマ」



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